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第一章

十六つになる日

Published on Jul 28, 2026

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第一章 十六つになる日

うへひとに
うち具せられき
妹背なり
忍びたまふと
誇りたまふを

 鳥の音にか、それによりてやすからぬいねから驚き、さと見出でたまふに、つとめてにやあらむ、目にも痛からず肌にも感じぬほど弱き日窓から注ぎたり、まだ衣当たりざりけり。立ち上がり、窓の辺に歩きていまよりありありと御覧じたかるを、あまたの女房、随身あたふた通ひ、まだあくび覆ひたり、はかばかしからず何あひ語りたる、窓から聞きたまはぬが、何かこちたきともいふまでもなく知りたまふ、地の若君の十六つになりたまふ日なりけり。日のまだ昇れる早きつとめてにも、かかる慌てにて、小さき微笑み御顔に浮かべ、おとのため運の神にしばしば祈りたまひけり、さだめて己よりじゃうずになるべしと。先よりの鳥の音探らまほしかるやうに耳向けてみたまひ、いとかすかなり、いづこに移りたりとわき、そこにて御頭あげたまひ、雲もなき青空に二羽の鳥空飛べり、かまへて先ほどの音なるらし。

「姫君、あからさまに御寝ねより驚かしたてまつりて、願はくは許させたまへ」

 さと御頭下げたまひ、すでに白髪のはじめたる随身が御目に入り、また微笑みにて応へ、しばし少し御頭下げて上げたまひけるに、かも笑ひながら一言言ひてさがりけり。

「けふも、同じくまばゆく光りたまへり」

 また他のあまたの通ふ人の波に入りて消ゆるまでの姿御覧じ、窓から離れ、大切なる日のためまうくべしと思ほして、化粧の机の前にゐ、例のことせさせられ、さらさらと障子の影に移り、寝衣落として折り置き、また立ち上がり、外への蔀の方に向けたまひけり。御肌まさに輝くごとく、灯のなき所ならば灯こそになりたまふやうに白く、下臈もその下のものも怖ぢぬやすさたるに、姫君と呼ばぬをりにはつねに光などと呼ぶこともかまひたまはず。いかなる、神だにもしろしめさぬほどこそあやしかるを、父の大きき地と母の使ひ効く火の合はせにて、いかでえあやつらぬ光になりたるを、父母いとはづかくて他の一家に知らせたからずと思ほし、御生まれよりすがらこの一家の隈とせさせられ、忍べとのたまふの多かりけり。息取るがごときなべてのことのやうに御体からひねもすやまず光の放ち、え眺めぬほどにはあらぬが、人並みの目にて見るのみなれば何か違ふとすなはちわくことなりけり。

 蔀とろとろと向けて開きたまひ、まだ人の波通ふありさまなり、左右振りて、水の滴りのごとく入り込み、渡殿渡り、おとの寝たまふ御所の東の方に向かひ、あの事のまへに心から祈り伝へたしと思ほし、一段と御足の歩くのも速くなるが、困じたまふにや、すでに息荒くなり、一歩ごとに大きく囁くの音までしたまふ激しき息取りなりけり。

 けふの渡殿前より長きにか、遠くから東の対の蔀まだ閉ぢたり、運の己方と嬉しく思ほして、人の波の中に編みて一段と近くおはしけり。着きたまひたるに、戸開かず前に立ち、激しくなりたる息に声上げたまひけり。

「太郎、入ると願ひつかうまつりて」

 しばし己の息の音にて立ち待ちたまひ、戸やうやう左に移り、まさに神々の御子がごとき御容貌が、戸の後ろから現れ、御顔に御前のやうに同じき微笑みなるが一段と大きき笑ひほどの持ち、招くやうに手振りたまひけり。

「姫君がこれのうへなるべし」

 まだ荒き息取りたるが、とく中に入りたまひながら、戸閉づべしと御手振りたまふが、太郎は、何ものたまはずとみに戸閉ぢて、一の姫君と中にいきたまひけり。いとけなきころより、父母さへののたまふことなど、それに世のきこえなどもかまはず、いものことたえず守りたかるやうなる御考へ持ちたまふが、守らるる方がよに知りたまはぬを、もしくはそれでよしと思ほし、北の君知る要も無きに。

「かかるつとめて驚きたまふに、まさにこれの十六つになる事覚えたまふにや、いとあさまし」

「こなたの御誇りなり、祈りつかうまつりてやまぬを」

 いまの日が、すでに中まで照らしけり。光の中に踊る踊る種のやうなるもの、日はやうやく昇りたくなり、しばし二人きり無言のさまにてその日の光眺めたまひ、言ふまでもなくなほ一日なりけふは。まだ十六つにすぎねど、いま一の姫君より高く立ちたまひ、御袴のやうにてすゑのある一家のあるじにつきづきかりけり。すぐ御側に御目向け、なほ外ならずここ中に日よりまばゆき光の姿あるを、とばかり御目閉ぢさせ、御手その煌めく御顔に近く上げて強く握りたまひながら、御手から硬く見ゆる灰色の粒零れけり。

「うへの求めにや、父母のにや、さだめてあるものになり、北の君のしあはせ守りつかうまつるべし」

「なあながちなりねそ」

 二人の御目合ひ、音になりて笑ひたまふと、御口覆ひて御肩のみわずかに上がり下がり軽く笑ひたまひけり。いまさら日が二人の御顔に照らされ、すでにまばゆく光れるのはいとどあやしくまばゆくなり、黄色の光に浴びらるとも前と同じき白み変はず、この世のものならでかぐや姫の光がごとく。

「けふの日も いとやさしかし 太郎にも こなたのやうに ひねもす祈る」

 姫君ののたまふことを横切るがごとく、後ろから戸の開く音きこゆ。父なり。先ほど東の君は何かのたまひたかるが、父の御姿御覧じて黙すに、中の二人の一時に振り返したまひけり。まめなる御顔持ちたまふ方なり、まさしき怒りにやただ例の御顔にや、いかにも怒るやうにみえ、東の君と同じき御袴たてまつり、その外から前よりの弱き日が何のゆゑにていとど強くなりける。御目鋭く速く中の見回り、やうやう光れる御姿に止まりたまひけり。

「いかでここにある、姫、大切なる日にて、な太郎障らせそ」

 あたふたのやうにて、あわてて御頭下げ、かすかなる誤り言葉のたまふなりけり。なさけなき御姿御覧じて、その御側に御目向け、上下に沿ひ、まだ灰色のかかりあるその御手にしばし止まりて、沙汰考へたまふにか、また例のなさけなきの御目向け、まばゆく光より瞬かせたまふを、怒りの湧き上がりて厳しくのたまひけり。

「己十八なむなる。いまさらにも光の力をさをさあやつりかてぬか」

「叱りたまふともずちなしと思ひたまふを、けふのこれの事にしたまへ」

 一の姫君は、ゆめゆめえ御頭上げず、下げまにおはし、さらの言ものたまはぬが、御肩軽く動く動く、御側に何か伝へたかるやうにて立ちたまひけり。太郎は父の方に胸張りたまふらむ、姫君の手掻きも悟りたまはぬ。それに、姫君先より念じたまひけむ、いまなれば御手から黄色にかかりたるまばゆく小さく白き粒も零れはじめ、床にあたるをきらきらと空に消えけり。

「その光、忍べ」

 父がのたまふことにさらに乱らせられ、一段と御頭下げ、両手一つにしたまひつつ、零れたる粒も前より多くなり、足元のも光りはじめ、外からの鳥の音のごときいとかすかになさけなき音きこえけり。御肩に御手感じたまひ、かつこころやすくなり、御手からの零れたる粒もやみながら、まばゆき光に注がるる屋もやうやうなべてに戻りけり。太郎はさと父と外にあひ歩き、まだ御頭上げぬ御姿残らせ、戸閉づるやうに戻らせたまひけるを、その方から日も消え、ただ後ろの日の中に踊る踊る種が残ると、立ちたまふありけり。

 しばしのちほどやうやくあからさまに御頭上げかつるやうになり、蔀通してあひのたまふ影おぼつかなくみえ、したまはまほしからねどもまたおとに詫びかりにせさせたまひ、言葉にえせずいとこころにくしう、こころも知らず御頬に涙流れたり、あなおほけなしかると思ほしけり。御頭に浮かぶる考へ多かり、鈍く戸開け、外にはいま一人の影もなく、おそらくこのあたりにもあらず、すでに事のまうく所へ通ふらむ、とろとろと戸閉ぢ、いま先ほどの人波ならぬ渡殿た遅く渡りて、人の影求めたかるやうに方方御頭振りながら、例より御足重がり、寝殿に向かふべしと、あるまじく重き御足運びて歩きたまひけり。

 五、六歩、歩きたまふのみにても息荒くなり、世のことわりにさかふるものがごとく、氣に愛さるれども、呪ひと一家のしみとしてあつかはれたまひ、御体はまさにた弱く、くづれがち悩みがち、いとけなきころより。けふそのかかる日にか、衣さへも例より重く重く、このほど歩きがたきのもえ覚えず、こころ知らずに息取るも御口にて、姫君として言葉にせぬばかりのなさけなきやうなりけり。

 寝殿のまへに着きたまふが、なほ戸閉ぢたる、まだ息止まぬにや、中のおはする方のこと怯ゆるにや、え声上げず、そのまに外に立ちたまひけり。中には方方の動く影御覧じて、囁くやうなる声きこえけり。さと空に上げて、まだはやけれど事のはじむべしと思ほし、太郎のことさらに信じたまふが、いとなむゆかしかるに、御喉硬くなり震へば、やうやく声上げたまひけり。

「入りつかうまつりたきこなた、ねがはくは、せさせたまへ」

 そのかみ、永久も経るごとく、立ちたまふの戸の後ろに、しばしその中の影も動かず、そのいと薄き蔀通して見らるめり。いづれ長く立ち待ちたまひ、やうやく鋭く戸側に開かれ、そのやすからぬ御顔現るるに、跳ぬるほどあさましかるが、恐ろしみ抑へ、御頭上げておまへの先ほどと同じくまめなる御目合はせたまひけり。その御目にて、まさにきらきらと大きく見ゆるが、つゆおまへの御顔変はらず、見下ろされたまひけり。

「姫、ここにある要はなく、外にて待たなむ」

 短く例の答へられたまふが、けふのことにやあらむ、例より激しうのたまひけむ、こころも乱られ、申ししことかしこかるかなと思ほし、恐れよりの震へおまへに見せたまひたからぬが、御目合ひぞ破るまじかると、御目の煌めきまだ失はず、それに加へ、御肌も前よりいとど輝きはじまりけり。

「さがれ」

 三音のみにてもいと怖ぢ、抑へし震へもまた表に出で、煌めく御目から水出づるらむ。跳ねず動かずそこに立たせらるるごとし。荒く息上がるさまにて、御体に残る勇み湧かせたまひて、おのづから父受けたまふや、また声出だすべしと。

「しかれど、こなたのおとの——」

「ふたたび言ふまじ」

 姫君の答へ待ちたまはず戸また鋭く閉ぢ、音のみよりてあさましがらせられて跳ねたまひけり。中にある影御覧ずる一の姫君は、まだ軽く震へたまひたるが、ひととき怯ゆるのも忘れ、いまはなほおとの事こころづくしかる、二年前のやうになるまじと悩み、惑ひて掻き乱れ、蔀のまへにあたふたのあまり、覚えたからぬことまた浮かべて覚えたまひけり。

 はじめより、いかでいとをかしかるを、御体の中には人並みより溢れらるる氣宿り、そのゆゑこの世にありがたくめづらしき光の力なりながら、御体はまさにた弱く、おそらく七日に一度病みたまふほど。そのかみ、光あやつりかてぬをりに、白き日影のごときあらゆる方に放ち、壁と蔀など通し破らるるあと、砕かれし所にて、泣きながらまだおぼおぼしく輝きたまひたる残りけり。父母が愛でられねども、力あやつりかてずといへども、その御体の中に宿る氣はこの世間にわたりて前にあるまじかるほど大きく多かり、そのゆゑもの危ぶみから守られたまひながら、その力怯えたる父母は忍ばせたまふ。十六つになる日にこそ、家まほに包むほどこの世のものならぬあやしくまばゆき光の放ちたまひけるを、幸ひにか、たれもことなく世去らせぬが、ことあらば、何となるとはえわくまじ。

 たとひなどの考への森に惑ひながら、いまは何申すともその方も受くまじくずちなう、己の所に戻る限りと思ほして、重き御足と疲るる御体力込めてかき運びて、まさに人影もなくものさびしき渡殿にて鈍く歩き、北の対に向かひたまひけり。まだ悟らぬが、いつの間にか袖もしほたれたるに、御頭に乱れてたとへ悟りたまふとも何のことわりにてそれほどまで濡れたるかも知りたまふまじ。御頬に零れたる涙も、御肌よりの輝く光に映られ、昼の日が湖に当つるごとく、明りて人並みの目え見ぬとかは。いまははじむらむ、と思ほして、まことに信じたまひ、必ずよろしかるべしと、おとのことなれば。しかれども、いかでもこころもとなかるを。もし、いづれまであやつりたまひかつとも、運はけふのみにいぎたなくておとのこと忘れたまふかは。もし、東の君のひがことならぬが、己こそのならば、たとへこのこころやすからぬえ抑へねば事障りて太郎にも迷はすれば。ああ何すべきと乱れのあまりに、御頭上げ、親しみの北の戸まへにありけり。ここから、祈る限るかし。

 中に入りたまひ、その中にゐる女房も悟りたまはぬに、声上げきこえ、ただの挨拶にすぎぬが、こころ跳ねさせられたまひけり。かの世にあくがるのからまたこの世に引き戻らするやうに、女房の姿ありありと御覧じ、かつこころもやすくなりき。その側にゐ、とろとろと己の悩みなど語りたまふに、女房も何も訪ねずねんごろに聞き、のたまひをはるに、言ひはじめけり。

「確かにありき、二年前の光。しかれど、もともと姫君の振る舞ひならぬに、ひがごとなるまじと思ひたまふ。それに、そのかみの光はいと暖かかるを、姫君の微笑みがごとき」

「こなたのはとかく、太郎のはこころやすからずこころもとなしと思ひたまふが」

「知りたまはずかし。屋え出でず姫君の悩みたまひたるときは、東の君朝夕その氣練じまどひたまひしこと」

 一の姫君は、いかでしばし言葉もわかぬ、いま何ものたまはず、無言にて、御目大きくなり、先ほどよりの涙もかつやみ、あさましきのあまりに女房の方に眺めたまひたるやうになりけり。その姿見て、軽く笑ひながら、言ひ続けけり。

「なほ。たれにも知りたまはせたからずめり、太郎は。他の人まだ寝るとき、つとめてから近くの山に通ひ帰りたまふありけり。かかるほどにねびたまふ、この賤しき女房のみならず、随身たちもあまりに喜びたてまつる」

「いかでそれまでしたまふ、すでになあながちにしそと申ししに」

「わきたまふらむ、たがために。そのうしろめたさわきたてまつるが、東の君のことならば、知りたまはむ、がたからずおはすべし」

 さうならむ、今こころも前よりやすくなりけり。また何も言葉にせず、立ち上がりて窓に着きたまひけるに、外の日はすでに昼の強さにて家隅のぞかずまほに照らしたり、つとめての鳥の姿も見えず、風もなく、庭にある小さき池も動かず水面あからさまにも乱られず、周りの木も例の風にて震へず、いかにも和やかなりけり。しばし見出で、また新たなる微笑み浮かべ、窓から離れ、女房の側にゐたまひ、とろとろとうなづきてやうやく声上げたまひけり。

「むべ、太郎信じつかうまつるべし」

「さうなりて、姫君は、いまやすみたまふがよろしと思ひたまふ」