忘るること
2026年6月2日
Reminiscing a "long" journey of mine through the Japanese language.
Published on Jun 27, 2026
11 min read
令和8年6月27日(土)
【長い旅の集結】
この一ヶ月より少し長い時間にかけて、四年前の日本語を勉強お始めしたこなたさえ信じられないほどとんでもない物事が起こして、そのかみの拝見した夢のごとき、いつかまばゆしくものすごいふみを書き望みました。
最初のこなたがもう他の方並みと違い、「みんなの日本語」や「げんき」といった人気のある資料から学ぶことはござらなく、ただ文法まとめというリストと同じ単語まとめというノートをお買いしまして、それから存じない言葉が出てくれば英和辞書をお調べするという勉強方法でございました。それはもう四年前でございます。誇るべきほどすごさだとお思いになる方がいらっしゃるでしょうか、実際に大学一年生として暇な時間があまたにお持ちしましたからこそ、一ヶ月くらいで日本納涼試験の最低段級を完了しておることができました。その文法リストの本の最後の分には、模擬試験というものがございまして、もう折角で自分の運用能力を挑むついでのためやる甲斐があるかなとお思いして、やってみまして、言葉にできぬばかり驚きのあまり満点でございました。しかれど、満点としても、結局最低段級で、気持ちにかかわらず本当に実際に役に立つまいとありありとおわかりしました。
その調子をお乗りして、4級または次の段級とお呼びになってもおかまいしていなく、前に比べたらある崖からもっと高い崖に飛び出すごとき結構難しくなってきたと思いました。お思いしたより時間かかってしまいましたものの、同じく5級の本のように、最後の分にも模擬試験がございまして、ためらうことなくやってみましたと、口惜しいながら満点を得ることができませんでしたが、合格できる点数を得ることになっていました。しかし、この程度では日常会話さえできないとお思いして、3級に達すことがおできしたら、文章書いたり普通の話題の会話話したりすることができるという望みをお持ちしており、次の段級の文法本を買うとお決めしました。
こなたのお生まれから性格のせいだろうが、デザインにせよ開発にせよ何の知識でも素早く上手になりたいとお思いして、その理論や考え方も3級の本に適用したがりましたが、もっと複雑文法用法などが予想外にあまたに出てきて、半年がいつから経ってしまったのがお気づきしませんでした上に、試験の聴解部分が苦手だとわかるようになって、ひどく不思議だなとお思いしました。始めたおりからもう1年半でございました。
大学2年生として、専門部を選ばなれけばなりませんので、結構忙しくなっており、日本語勉強はしばし中止したほうがよろしいとお思いし、考え通りにしました。そのかみも大学にてお学びしたことを適用できるインターン環境を求めておったときで、長馴染み仲間が力合わせてお作りになった小さな自立会社にお入りしましたものの、大学の先生がお認めになりたくないとお思いし、小さすぎてなにもできないというわけだとのたまっていました。しかし、こなたが正確だとお思いしなっかたとは、小さな作りたて会社であったらこそ、大きな会社にてはやらせられてくださらない仕事が逆に、この会社には許可させられくださって、嬉しいことに、給料がなかったにもかまわず、それをきっかけに自分の能力や知識を伸ばすことができました。その会社、または社長様と部長様のおかげで、今は人並みより知っておると申し上げることができます。
この会社にも、日本語を勉強していらっしゃる方々もおいでになって、努力として自分も再び続きたいとお思いして、それぞれ2級の本をお買いしましたが、自分の限りわからぬ怠けのせいで、一年間にわたって、自分に怒りのあまり、何も勉強しておりませんでした。
正月が来てしました。正月ごとに、その年に自分の願いやしたいことなどをある紙に書くという伝統がございまして、自分もやりがいがあると思いつつお書きしました。その中の一事が、今年絶対に2級試験受けるつもりでござり、それからまた買いましたが一度も開けなかった本をお開けしました。正月から、自分で本から勉強するのに加えて、ボランティアとしてガイドもしておりまして、その仕事を通じて、数人の日本人の友達ができて、それからまだ連絡できるのやらもう連絡できないのやらもいらっしゃいます。しかし、不思議なことに、あらゆる人種をガイドしておりましたものゆえ、一度もございませんでした、「日本語上手ですね」という日本語勉強者の中に崇拝できる伝説的なことばと言われましたこと。何のことわりだとこなたもあたりがございませんでした、会話中普段に話が通じましたので、認められてくださらなくてもかまいませんと思いました。少しだけがっかりと思いつつ、こなたの運用能力がまだそのレベルに達しませぬのでしょうか……
今年の5月は、おそらく一番大切な時間だとも申し上げられます。というわけは、前にお述べした日本人の友達から、中学生向けの国文法というテキストをいただきまして、それを読むと、頭の曇り空が晴れになってきたごとき、すごくこまかく文法上の用法と識別がわかるようになっておりながら、とんでもない破壊力で外国人向けの本の理解方を破るのが大変苦しかったが、もっと学びぬいて、その本の終わりまで続いて、まるで日本語のことが全部わかりそうなお感じしました。それだけではなく、最後の章には、「文語と口語の違い」という内容がございましたから、気になるこなたがそれから動画やらブログやらフォーラムやらお調べしまして、また別の日本語を拝見する視覚ができて、体内の興味を呼ぶのように、深淵までにゆかないといけないにもかまわず、もっと詳しく知りたいという好奇心でお続きしました。
今まで、まるでたった昨日でござったのように最初の古文の文法をお使いした文。
「さくらちゃんにならまほしき者が古文をしっかり学ぶべし」
少し口惜しいながら、「しっかり」の代わりに「をさをさ」とお使いしたら完璧なのに、本当には編集しないほうがいいとお思いします。今の時間拝見すると、一時間内にこの長さを書くことができて、どんな遠くに歩んでいたかなと、自問せざるを得ません。あるかみも、自分の書きました文が本当に文法上適切かどうか、または言葉遣いがまことに自然かどうか、という質問をいつも頭に浮かんでいましたが、今にはどうでもよろしいとお思いして、自分の考え流れを書き望むにすぎなくて、間違いがございましても全然気になりませんので、気楽でこころやすいでございます。
まあ、長く言い回しても、来週の試験がございますから、好き嫌いにもかかわらず、硬く覚えづらい文法リストを学ばざるを得ませんので、時々少し休むときに、源氏物語といった中古文学を単に分析したり、このような文章をあらゆるテーマについて書いたり、または下ネタの話を日本人の友達と話したりしておりましたとは、自分が退屈になれないように。
前の日記エントリーにも書いておりましたが、古文や文学などに興味をお持ちする姿を御覧になる日本人が、何のわけで尊敬なさるとか、町娘や姫君などという称をこなたのことお呼びになるとかもございましたけれど、自分の好みにすぎなくてもそれほどではないとお思いしました。この勉強方法にも、欠点というがあるでしょう。たとえ、数日前に、存じる昔はイギリスで言語分野を留学なさった日本人の先生を、国文法のことをお尋ねしましたが、答えあそばすことができず、たった短いご返事が届いていた、「難しいな―――。アンさんは普通の日本人には手が届かないくらい高度なことを勉強しているね」と。
そのときから、自分の歩むべき道が自分の力にお頼りするしかないこととありありとわかるようになっていました。
木之本桜