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テセウスの船

2026年5月27日

Published on May 27, 2026

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2026年5月27日(水)随筆

テセウスの船

 今日の語りたき言ひ事が大和からならず外の国から来けり、片仮名を使はまほしからずとも、使はねばある人並みの船の語りになりぬ。ある船がときを経、すべての分をそれぞれ代はらればか同じき船なる、そして、その分から別の船を作れば、どの船がか本の物なるといふ試みる考へ、逆ふ理なり。その問ひが哲学にて己とは何といふ問ひなり。

 昨日も不死のことを言ひしが、昨日のある人と少し語りてけり。その人が人を一気に代はらず、分一つ一つずつ代はられば、同じき人のままなりと思ふ。その人が遠き未来の夢に酔ひ、今のことをわからしに、此方がまた言ひたからず。「でも、其方の脳細胞があの機械に破られず、全ての細胞を集め、他の人の脳に入るれば、その人がか其方なる。その人がか別の其方に恨みを持つ」と尋ぬれば、答への来けらず。その考へを続き、二人こそが其方なれば、いづちが本の其方なりと尋ねまほし。それとも、乙が其方ならねば、何のわけで甲がか其方なりとわかる。さらに、少し考へよ、甲が其方ならず、乙が其方になり、そのさまにていつに其方が変はれけりと。此方がこの人々が未来のことに心を奪はれ、己が評定するものと信を成すと思ふ。このことが医学にも書かると思ひ、己が神と信を成し、己の言ふことが問はぬども正しと考ふ人なり。

 世間にて、船の逆ふ理に解き様を出でけるが、此方が本の一様と同心せしが、真に言ひ、ある様と同心することの要がなしと思ふ。此方の命も、世間の命の流れとともに流れ、船のごときことも見けり。たとへ、数年前に、中学生頃の此方が化粧ぞ知らず、生まれし顔のままで外に出でけるども、今の中学生が学校までにせよ、外に出でるときに顔がもう化粧もつき、大人のやうな姿なりと思ふ。大学の友も同じく、ある人が画を撮るときあと、いと画を編集せさせ、本の人と違ひ過ぎて、そもそもか己の画なる。此方も美しき娘にならまほしきが、後で画を見るときに、ああ此方なりかしと言ひたし。その画編集過程にて、いつか己ならざらむに、己の画をまた見れば、何のわけで己なりと思はじ。

 船のことに復ちばや。何時とも無く船の心が無きものとするが、人なれば何をか考ふべき。人手づから己を変はれば、人の心をか守り得るが、他の人に変はらせば、人の心もかそのままなる、それとも変はりけむ。たとひ、ある芸人が絵くのを止めしが、数年後にまた別の流で描き始むれば、か同じき芸人なる、または別の芸人になりぬ。それとも、芸人こそが変はらぬが、その人の流こそが変はりたるに、船と言ふとも、別のことに考へ得と思ふ。

 ある即時通信会にても、言語そのものを脳に読み込みたき人が多し。でも、此方の悩むことが、己で言語を学ぶことが己の進みと思ふが、力を尽くせず言語を脳に込むのが本の己の進みとかは考ふる。その違ひは何といといと悩みて考ふ。彼方の米国の人なるが、己が大和の人と思ふが、一切に大和の言葉を心を尽くして学ぶ気が無ければ、本の大和の人と呼び得じ。此方こそが大和の人ならず、越南の人たるが、大和にて他の人に何も言はねば大和の人ならずとおそらくわからじ。おもしろしき逆ふと思ふらむ。

 心理学や哲学にて、百物も変はるの止めず、朝夕に動き続くと言ふ。人の細胞さへも、毎日死にて、新たな細胞が古きのを代はり、科学により生まれける時からただ十年が経れば、をさをさ細胞がすべてもう新たしくなりぬ。其方と此方と他の皆様の体こそが歩み得る船のごときと思ふ。其方の体がさだめて変はりけるが、やは其方の心が変はりしと考ふべし。

木之本桜


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